
台湾・阿里山~日月潭への旅
2016年春。 |

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日本/羽田空港~
台湾/桃園国際空港
| 台湾/桃園国際空港
8月下旬、出発当日「台風の影響で飛行機が飛ばない」と、島根から電話が 入る。「岡山まで車で行き、そこから新幹線で向かうけど、間に合わないかも!」 一方で、「東北新幹線の車内でスーツケースの取り違いで、私の荷物が無くなったー。」「間違えた本人が、自宅に帰ってから気がついて今から東京駅に持ってくるらしいけど、まにあうかな」等、トラブル続出したもののなんとか4人そろって台湾に着いた。 台湾は、ポルトガルをはじめオランダ、スペインなどがかわるがわる統治していて、 17世紀末に清朝の行政下となったが、その後、日本の統治下となり、この頃から本格的な茶業が開始されたものと思われる。 台湾の主な茶産地は台北、台中で、玉山をはじめとする3,000メートル級の山地だ。 山並みの山間を中心に「台湾烏龍茶 (フォーモッサ・ウーロン) 」、「凍頂烏龍茶 (トウチョウ・ウーロンチャ) 」、「包種茶 (ホウシュチャ) 」、「鉄観音茶」、「水仙茶」、 「緑茶」などが生産されている。 |

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桃園国際空港~嘉義・阿里山
| 桃園国際空港~嘉義・阿里山
空港からはバスで桃園に向かい、新幹線で嘉義へ向かう。 夜中の飛行機だったので、今は朝だ。 駅のコンビニでおむすびとお茶を調達した。 日本のコンビニでもおなじみのおむすび。ここ台湾のコンビニでもおむすびが大量に並んでいる。 然し乍ら、中身の具材が中国語で書かれているのでどんな味なのかもわからない。 さすがに、梅、昆布、おかかはないだろう。笑。 肉鬆?と書かれたおむすびは豚肉のそぼろごはんと言った感じか? ハワイのゴルフ場で食べたスパムソーセージがはいってるのと、 鶏肉の甘酢料理のおむすびを食べた。 ものすごい種類のおむすびがある。おむすびを食べまくるグルメ番組ができそうだなと思った。 台湾では実に多くの日本語の看板が使われている。 商品にも日本語が使われている。 一瞬それは日本の商品ではないかと間違えるくらいだ。 私のお茶には特上紅茶と書いてある。 日本リスペクトなのか、単なる外来語として商品とともに受け入れられているのか、 まだ今の時点では何もわからない。 台湾の新幹線は快適だ。 1分の誤差もなく、定刻通りに嘉義についた。 |

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阿里山

| 阿里山
阿里山は、北緯23度27分も北回帰線上にある台湾中南部の都市・嘉義の桐朋に位置し、
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| 太興岩
阿里山を案内してくれるのは、仙ちゃんがパリ旅行中で出会ったリー君とリー君のおじさん。 阿里山に茶園を持ち、嘉義で THE ONE TEA 一茶工房というティーブティックを経営してるのだ。 リー君は台湾の黒猫印の宅急便ドライバー。 このおじさんまで最短距離で縁が繋がったことに何か大きな力を感じる。 |

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太興岩
くねくねとした山道をどのくらい走っただろうか。 |

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奮起湖駅
| 奮起湖駅と阿里山森林鉄道
奮起湖駅に着いた。 ここで、遅めの昼食を取ろうということになった。 ここは阿里山森林鉄道の駅である。街は迷路のように路地が入り組んでいて、道幅の狭さが車のなかった時代に繁栄したことを想像させる。 観光ブームに乗っかって時代を感じさせる料理屋と並んで建つお土産屋さんやコンビニエンスストアーの昼間から放つ無駄に明るい照明が眩しかった。 そして、おもしろいことに奮起湖という湖はない。笑 閩南語(びんなんご)という中国語の方言のような言語の一種で、湖というのは窪地を意味しているらしい。 スイッチバックによる上下線の離合地点であったり、蒸気機関車時代は水や石炭の補給基地の役割もあったため、停車時間を長く取っていた らしい。そのため、乗務員や乗客が休憩や食事をとるようになり駅前集落が繁栄したようだ。 僕らが訪れた時間も観光客で賑わっていた。 駅構内には車庫があり蒸気機関車が2輛。その他、ディーゼル機関車と保守車輛?のような小さな貨車があった。 「阿里山森林鉄道」は、インドの「ダージリン・ヒマラヤン鉄道」、チリとアルゼンチンを結ぶ「アンデス山鉄道」と並び、世界三大登山鉄道のひとつに数えられている。海抜30mの嘉義駅から海抜2,216mの阿里山駅まで標高差約2,200m、全長71.4kmを3時間30分で駆け登る、登山鉄道として世界でも数少ない貴重な森林鉄道である。 「いつかダージリン・ヒマラヤン鉄道に乗りたいね。」などと、みんなは戯言を言っていたけれど、それはいつか現 実になるかもしれないなと、 僕はふと黒光りする大きな鉄の固まりになってしまった蒸気機関車を見ながら思った。 「未来は言葉にした夢しか実現しない」そう信じているからだ。 |
1895年下関条約締結により、台湾が日本の領土となったころ、日本では森林資源が乏しくなり、木材の供給基地を海外に求める必要があった。
また、台湾では交通網を整備する一環として縦貫鉄道敷設を急いでおり、その建設資材として木材の調達が必要であった。
時を同じくして、1896年に日本陸軍中隊長・長野義虎が阿里山の登頂に成功し、巨大密林を発見する。その情報を基に、撫墾署ぶこんしょの斉藤音作を隊長として調査が行われた。その結果新高山西方に樹齢千年以上の高品質の針葉樹林が1,000平方キロメートルにも及ん
でいることが判明した。
しかし、地勢が厳しく道路の建設が困難であり、河川も流れが急で利用できず、木材を運び出すことはできなかった。
幾多の運搬計画が検討され、安全で大量輸送が可能な森林鉄道が採用された。1900年鉄道部技師飯田豊二
は、森林鉄道が敷設可能か否かの調査を開始し、結果を台湾総督府に報告した。その報告を基に1903年、台
湾総督府の民政長官であった後藤新平は、ある人物に開発とルート選定を委任した。
その人物こそが後の阿里山開発の父といわれた東京帝国大学林学博士の河合太郎である。後略(「時代とともに走り続ける阿里山森林鉄道」より引用)

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THE ONE TEA 一茶工房
| THE ONE TEA 一茶工房
李さんと林さんの経営する「THE ONE TEA」にようやく帰って来た。
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日月潭
| 一茶工房茶園
李さんの車は、嘉義市の北を東西に流れる川にそって下流から走って行く。 |
| 日月潭(ジッグァッタム)(にちげつ たん) SUN MOON LAKE

太陽のような明るい笑顔、月のように静かに見守る存在――。 |

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九份
| 九份にて

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台湾桃園国際空港~日本/羽田空港